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どんな道を選ぶかは自由 [みことばを読む会]

前の記事があんまり長くなっちゃったので分けました。

聖書の会の中で、「神様の愛にこたえる道はたくさんあるけれど、誰でも必ずその中から一つ選ばなくちゃいけない」というお話がありました。

神父さまは司祭になるという道を選ばれて、その道を通して一生かけて神様の愛にこたえていく。
人によってはそれがシスターになったりブラザーになったり、結婚して新しい命を与えることだったり、人からはわからない隠れたところで神様につかえていくことだったり。

神様は、たくさんの道をしめしてくれるけれどそれを選ぶのは私達の自由。
でも、その道をいつまでも選ばなければ迷ったり悩んだりしてしまって幸せとはいえない。

そのときに神父さまがおっしゃったのが「私は10年司祭をやっていますが、10年前と今では
違う司祭です(経験が増えたり、深みが増したりという意味だと思います)。結婚した人の愛も、そのときと10年後と違いますよね?結婚した人も一生をかけてやっていくことだと思います」と。

私はまだ結婚して3年経ってないけれど、確かに結婚してすぐのときと今だと(冷めたとかいう意味ではなく)愛情の内容が違って来ているなぁ、と納得しちゃいました。

私にとって神様の愛にこたえる道は、だんなさんとほにゃららさんを大切にして一生かけて
家庭を作って行くことなんだなぁと改めて思いました。
なにしろ、神様の前でばっちり誓いましたからね♪


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相談しよう、そうしよう♪ [みことばを読む会]

今日は朝から大雨で、家を出たら裏口の前に大きな水たまり。
道路は水浸しで「ひゃ〜」と思いながら車に乗って大きな道路に出たらまるで川!!
路肩では車高の低い車が一台、エンジンに水が入ってしまったみたいでボンネットから煙を出して止まってしまってました。
近所の大きな郵便局前の道路は冠水のため通行止めになってしまって迂回してなんとか時間どおりに教会へ到着。

そんな天気だったからか?聖書の会の始めには「ノアの箱船」に関する質問をされた方がいらっしゃいました。
「箱船に、不浄な動物も乗せたとあるけれど不浄な動物ってなんですか?」という質問でした。
神父様が「イザヤ書に書いてありますよ」とおっしゃったので、持って来た聖書をぱかっと開くと、なんと!まさにその箇所。
びっくりしながら「イザヤ書の11章でしたよ」と言うと「じゃ、読んでちょうだい」と、
急遽朗読することになっちゃいました。
ミサの朗読は当然したことがないですが、聖書の会でも初めてだし、しかも読み始めたらものすごく長いし・・どきどきでした。
結局、2/3くらい読んだところであまりに長いので省略させてもらっちゃいました(;^_^A

その後、逆に神父様から「神様が人と契約されたのはどうしてか」という質問がありました。
私は、「人は、約束してもらわないとなかなか信じることができないからかな?」と思ったのですが、神父様のいうには「神様自身には人と契約する必要が全くないけれど、約束をすることによって人と愛の関係をつくりたかったから」だそう。あ〜〜、そうかぁ。

それを前提に、明日の朗読箇所を予習しました。
第1朗読で、アブラハムが「ソドムの街に正しい人が50人しかいなかったら・・10人しかいなかったら・・?」と神様と相談しますよね。
それも、神様にとってはアブラハムと相談する必要はなかったけれど、アブラハムを大切にして、彼の意見を尊重したかったからアブラハムと相談したのではないか。

福音朗読では、神様は私達の求めるものをなんでも与えたいと思っているけれど、相談してもらわないと何をほしがっているのかわからないから、どんどん相談することが大切、ということでした。

アブラハムの相談と、私達の相談と。それこそが「祈る」ということなんですよ〜、ということでした。
毎日、いろいろなことを神様に「お祈り」という形で相談して、時にはそれが「聞いてもらえなかった」と思うこともあるかもしれないけれど、神様はちゃんと聞いていてその人にとってすぐには分からなくても最前の形でこたえてくださっている、というお話でした。


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神様と人間と両方で [みことばを読む会]

この前書きかけだったのが消えちゃったので気を取り直して・・・

今回の聖書の会では、明日が「キリストの聖体」の主日なので、ミサとご聖体についての
お話が中心でした。

簡単〜にまとめると、
・ミサは、神様に感謝すること(フランスではミサのことを「ユーカリスト」とも言うそうです。ギリシャ語の「ユーカリスチア」からきていて「感謝する」という意味だそう)
・メルキゼデクが、それまでのような「生きた動物」ではなくパンと葡萄酒で祝福をしたのはなぜかというと、「神様の恵み(小麦を作ってくださった)」と「人間の労働(小麦からパンを作る)」の両方がパンには含まれているからだそう。(葡萄酒も同じ)

それで、平日のミサのときに神父さまがパンと葡萄酒をささげるときに
「大地の恵み、労働の実り」と言うんですね。

ちなみに、サレムという地名は今のエルサレムの「サレム」と同じで「平和」と言う意味。
神父さまは、「エルサレムは平和の街という意味ですけど、今ではちょっと皮肉ですね」と
おっしゃっていました。
「サレム」が、ヘブライ語では「シャローム」アラビア語では「サラーム」になるという話もありました。
あと、「Benediction」は「Bene(bonus)+diction(dicere)」で良い事を言うという意味という話も。・・ということは「dictionary」は「diction」が変化したものなのかぁ(今更ながら)

なんか、今回は聖書のことの他に言葉の勉強にもなってお得な気分だったかも、です♪


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ヨハネ黙示録らぶ。 [みことばを読む会]

今日は、朝病院に行ってから教会に行ったのでお聖堂に入ったら
すでに朗読が始まったところでした。

病院がきっと混むと思って早めに家を出たんですが・・・がっくり。
でも、仕方がないですね。今日行かないと花粉症が辛かったので。
北海道はスギ花粉はほとんどないですが、現在シラカバが猛威を振るってます)

ごミサの後の聖書を読む会では、ちょうど会が始まって1年くらいになるので
今までこの会を行ってどうだったかということと、これからどうしたらいいかの
話し合いが少しありました。
それまでは、求道者対象の要理の会だけだったようです。今とちょうど逆ですね。

一人で聖書を読むよりも、何人かで読む方が他の人の発言から光を得られるという
意見や、神父さまのお話を聞きながらみんなで読むとよりわかりやすいという意見が
出て、これからも同じようなスタイルで続けて行くことになりました。
意見の中で、「ごミサの中の朗読って今までばらばらのことだと思っていたけれど
ちゃんと繋がってるんですね」というものがありました。私も、この間
「ごミサってリンクしてる!」と思ったので、やっぱりそうなんだと再確認。

神父さま曰く、「教会の教えも大切ですが、私は福音を伝える事が大切だと思っています。
教会の教えも、全てみことばから出てきたものですから」とのこと。

その後、明日の第2朗読に入りました。
前回に続いてヨハネの黙示録。
本当に、短い表現の中にもりだくさんの暗喩が含まれていますね〜。
当時のキリスト教徒を守る為にこういう表現をしたのだから、何も知らないで読んだら
さっぱりわからなくても当然なのかな〜、なんて思いました。
でも、含まれている数字の意味を考えながら読んだら「なるほど!」の連続。
思わず指をパチン!と鳴らしちゃいました(∩。∩;)ゞ
城壁に12箇所も門があるのは、みんなが入ってこられるように、とか
(後ろの方に「1日中閉ざされることはない」とも書いてますもんね)
一番「うまい!」と思ったのは方角の言い表し方。
「東→北→南→西」と辿る事で十字架を表しているんですね。
これは、迫害する側にとっては「変な並べ方をするな」としか思えないけれど
信徒が見るとちゃんとわかって力づけられたのではないかな〜?

福音朗読の中でも、福音書が書かれた当時の信徒を勇気づける表現が含まれて
いるんですね。
「事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと」と書かれている部分。
これは、キリストの死と復活であるとともに、当時の信徒に待ち受けていた
迫害のことも表している、というお話でした。

神父さまは、「毎日曜日、朗読にはそれぞれテーマがあります」とおっしゃっていたの
ですが、今週のテーマは「迫害に負けずにがんばれ」なのかな??なんて思いました。

ヨハネの黙示録って、読めば読むほど、ちょっとした部分にもたくさんのメッセージ
隠されているんですね。もう、すっかり好きになりました♪


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小さな奇跡 [みことばを読む会]

みことばを読む会の冒頭で、
「使徒言行録のなかで使徒が奇跡をおこなう場面があるけれど、キリストでなく
使徒が奇跡を行うことができたのですか」という質問がありました。

その質問に、神父さまが聖人の話を引き合いに出されて答えられたのですが、
聖人が(聖人と)認められるためには、奇跡が行われたという必要があるんですってね。
奇跡が行われた、ということはすなわちその人が神様の近くにいる証拠になるということで。
今まで、聖人って奇跡が行われて聖人の位にあげられるんだと思っていたのですが
奇跡は、すでにその人が聖人の位にあるということの証明ってことなんですね〜。
なるほど。

そして、秘跡の説明もされたのですが、
秘跡は、司祭の手を通して神様の(7つの)わざが行われるということで
司祭の手や口を使って神様が秘跡を行っているということだそう。

奇跡も、奇跡を起こした人を通して神様がよいわざを行っているので
「みなさんも、毎日奇跡を起こしてるんじゃないですか〜?」とおっしゃっていました。
えーと、それは奇跡=神様のわざということでいいんでしょうか??

てことは、このあいだのごミサであった「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、
その罪は赦される」という部分の「赦す」というのは神様の行う奇跡・・なのかな〜?

う〜ん、なんだかまとまりがなくなってしまったような。
これは「覚え書き」ってことで。ごめんなさい〜〜。


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初めての小聖堂 [みことばを読む会]

正確には、聖木曜日に聖体礼拝で行ったのですが。
小聖堂でごミサに与るのは初めてでした。

家を出るのが少し遅くなってしまって、小聖堂に着いたらぎりぎりちょっとだけアウト。
後ろの方で・・と思ったら前列の席をゆずっていただいて。ありがとうございます〜。

平日のミサは主日のものと違ってちょっと勝手が違ったけれど、小聖堂はこぢんまりと
していてイエス様をすごく親密に感じることができました。
聖体拝領のとき、神父さまの方から移動して行って聖体を与えて下さった(私には祝福)
のも、とってもよかったです。

昨日、だんなさんのおばあちゃんが入院したという話を聞いていたので
(心配の必要な病状ではないのですが、念のためということで)
特に、おばあちゃんのためにお祈りしてきました。

ごミサのあと、場所を移してみことばを読む会でした。
今回の朗読で共通していたのは、「キリストは、ユダヤ人だけでなく人類全ての
メシアとしてつかわされた」ということでした。
それまでの「イスラエルの民を救う人間としてのメシア」ではなく、
「この地球に住む人全てを救うメシア」としてキリストがやってきてくださったから
私たちはありのままで復活の恵みを受ける事ができる、というお話でした。

選ばれた一部の人たちではなく、この世界に住む全ての人を救ってくださる。
使徒を迫害した人たちまでも、全て。
道を迷って離れて行った人たちが戻ってくるのを、神様は辛抱強く待ってくださって
いるんですね。

神父さまは、今回初めてヨハネの黙示録についてお話されたそうなのですが、
祈りながら読んだらとても面白かった(興味深かった)ということでした。
幽閉されたヨハネが、迫害する側の人間にはわからないように、それでいて
キリストを信じる人が読むと力づけられるように書かれているから、という
ことでした。まるで、暗号みたいですね。


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偶像ってなんだろう?? [みことばを読む会]

今日の聖書の会は、神父さまの「偶像ってなんでしょうね?」という問いかけから始まりました。

「お金とか?」「目先の得になるもの」など声があがりました。

神父さまが、偶像というのは、神様の姿を隠してしまうもの。神様に信頼するかわりに
別のものに信頼してしまうこと。詩編に「目があるのに見えない、耳があるのに聞こえない、
口があるのにしゃべれない」と出てきます。それは偶像です。明日の朗読には偶像がたくさん
出てきますよとおっしゃいました。

まずは第一朗読。
「昔はよかった」と希望をすっかりなくしてしまったイスラエルの民にイザヤが
「始めからのことを思い出すな。 昔のことを思いめぐらすな」と言っています。
その割に、冒頭で昔神様がなさった事を言っていますよね。
それって矛盾してませんか?
実は、「昔はよかった、それに比べて今は・・」というふうにマイナスに考えるのを
やめなさい、と言っているそうなんです。祈念として思い起こしなさい、と。
神様はこういうこともなさってくださった、だからまた同じようにしてくださる、と。
人は毎日すこしずつ新しくなっていくから、昔を思い起こすのは過去のためではなく、
今と将来のために思い起こすのがいいですよ、というお話でした。

第二朗読と福音朗読では、律法がテーマだなあと思いました。
パウロは元律法学者でしたが、いくら律法を守ってもキリスト(または愛、ゆるし、聖霊)が
なければ役に立たない、キリストとともにあることが一番の幸せだ、と言っています。
ここで、コリントの信徒への手紙1の13章を読んだのですが、そこでも「愛がなければ
騒がしいどら、やかましいシンバル」と、どんな行いも愛がなければ意味がないですよ〜と
言われていました。
ちょっと、先週の福音朗読の兄を思い出しました。
言いつけを守ってつかえていても、兄には愛が足りなかったのかな、と。

福音朗読の箇所は、人々が裁こうとしていたのは女の人ではなくキリストだったのですが、
結局自分たちが自分自身に裁かれたような感じ。
イエスさまは、女の人の命を救っただけでなく、その場にいた人たち全てを救ってくださった
んだなぁと思いました。
結局、民衆が女の人を石打ちにすると彼らが救われないわけですし・・・

律法は、人に仕えるものであって人が律法に仕えるのではない。
これって、いろいろなことに言い換えられるんじゃないかなあ?

冒頭で偶像のことを「お金」と言った人がいたのですが、これをお金に言い換えたら
お金は使うものであって、人がお金に支配されるのではない、ってことですよね。

本来人に仕える(使われる)べきものに、人が支配されてしまうことを偶像っていうのかな?
自分も、いつのまにか支配されてしまわないように気をつけなくっちゃ・・・


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四旬節のおはなし *追記しました。 [みことばを読む会]

今日は、初めて「みことばを読む会」に行きました。
仕事帰りに夕飯の材料を買い物してから行ったらちょっと遅れちゃった・・・
でも、初めのお祈りには間に合いました。ほっ。

始まるなり、神父さまの「今日、私はしゃべりたくないです。」発言。
続いて、「今日はみなさんの話を聞きたいです」と。な〜んだ。(*´∇`*)

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